ダンスのトレーニングを必死にするよりヘタレの演技をイメージした方がいい時代
ダンスのトレーニングを必死にするよりヘタレの演技をイメージした方がいい時代
先ほどの質問への回答です。
これは後ほどきちんと説明しますがインターネットの発展により情報化社会になった。
そしてその社会は一番になることが非常に得をする社会なのです。
その点については後ほど詳しく説明をします。
そして一番になるのがとても重要であるときに市場を狭くして一番になるのは非常に有効なのです。
人は最初はメジャーなところで一番を目指してしまうものです。
英語で日本一になろうとか海賊王になろうとか野球で一番になるとかお笑いで一番になるとかマーケティングで一番になるとかそう考えてしまうのです。
しかし結果としてそういう人は一番になれないのです。
一番になれるのはまずはその中ので一分野で一番をとった人なのです。
全てにおいて一番をとることはほぼ不可能です。
野球でいえば野球選手で一番を目指すのではなく投手として一番を目指す。
そしてその中でもストレートでは誰にも負けない撃たれにくいフォームなら誰にも負けない変化球なら誰も負けないと自分の武器を磨いた人が一番になるのです。
最初から野球選手で一番にはなれないのです。
営業でいえば営業で一番になるには。
接待で権力者を落とすのでは。
誰にも負けないとかお金持ちのお客さんを効果的に攻略する方法なら誰にも負けないとか何かその中の一分野で一位になった人です。
メジャーな世界で勝負するそれは ほぼ厳しいと言ってもいいのです。
もっと言うならb思考停止です。
本当はどこかにおいしい思いができる場所があるのでそこを探さずに一緒懸命決まったことをやっていればいいと考えている可能性があるのです。
本当の意味での工夫をしていないのです。
これが新しい時代の努力とはマーケティングだと私が考える理由です。
指原さんの例で説明していきましょう他のアイドルは自分が今のままでは勝てないと気づいた時にダンスのレッスンや歌のレッスンに力を注いだかもしれません。
本人もそれこそがアイドルとしての努力だと考えているかもしれません。そして周りから見る人もそれが本来のアイドルとしてのあり方と考えるかもしれません。
一方でみんながダンスのレッスンを必死でやっているそんな中指原さんがしたことは何ですか?
ヘタレアイドル売り出した方がおいしい目に会えるは。
ヘタレな振りをするだけだから簡単だしそっちの方が楽だし簡単に稼げて得だよなとそれですよ。
これについて皆さんはどうお考えですか?
せこすぎるだろうとけしからんと考える人もいると思います。
他のアイドルが自分に求められるアイドル像に向かって必死になってダンスのレッスンをしているときにヘタレキャラ演じたらおいしいわラッキーやっぱ私って天才だわと考えていたのですから。
ですが私が主張したいのはそれこそがこれからの時代に求められる努力の形だと思うのです。
レッスンに打ち込んでいた人たちは見た目には努力をしているとそう見えるかも知れません。
ですがそれは意味もない無駄な古臭いトレーニングをして努力をしている気になっているのと違いはあるでしょうか?
そして彼女たちが求めるダンスを一生懸命に踊れる。
もしくはダンスを踊れるアイドルが本当にその時代に求められるアイドル像だったのでしょうか?
単なる思い込みだった可能性が高いのです。
なぜならもしそれが本当にその時代に求められるアイドル像であれば指原莉乃さんがここまで圧勝するはずはなかったと思うのです。
ダンスのトレーニングを徹底的に練習していたアイドルが勝っていたはずなのです。
そこを考えることができなかった彼女たちがしていたことは言い方がきついですが努力ではなく思考停止して努力をしていたふりをしていただけと見ることもできてしまうのです。
もちろん若いアイドルでファンに夢を与えようと頑張っていた彼女たちの行いを無駄な努力だと切り捨てるのは非常に私自身も胸が痛みます。
ですがビジネスの世界というのは甘いものではないのです。
目的に合わせたトレーニングをしていないならそれは努力ではないのではないのか。
それよりもどうすれば勝てるのか今本当にアイドルファンがそして一般の人々がアイドルそしてタレントに求めているものは何かを1日24時間考える。
そして出した答えがそれまでの固定観念や常識に反していても勇気をもってリスクをとって大胆に実行する。
これこそが今の時代に求めれる努力ではないのかと私は考えるからです。
実は思考停止て過去のやり方をすることは大変ですけどそれほど大変ではありません。
誰かの答えを真似するだけですからですが指原さんのように誰も答えを出したことのない問題について考える。
こちら方が大変だとご理解いただける方もいらっしゃると思うのです。
答えのない問題です指原さんも何度も答えを出してはそれでは勝てないと自分の答えを否定してそしてまた答えを出してと繰り返したでしょう。
それこそ
1日24時間ずっと試行錯誤したに決まっているのです。
そして実際に試してまた試行錯誤したでしょう。
これがどれだけたいへんかはおわかりだと思うのです。
それに比べればアイドルとしてレッスンに打ち込むというのは自分が求められているものもっと言うのならばファンのことを本当の意味で見えていたのでしょうか?
私は自己満足に陥ってしまっていた可能性もあると思うのです。
アイドルを離れればはっきり言えます。
結果につながらない努力は努力ではありません努力とはそんな簡単なものではないのです死に物狂いでどうやれば頭を使い身体を使うことです。
きちんと現実と向き合いビジネスであればお客さんと向き合わなければそれは努力とは言えないのです。
それが私がこれからの時代の努力はマーケティングだと主張する理由です。
そしてどうやればアイドルの世界で勝てるのか考えて試行錯誤した指原さんの行動こそこれからの時代に我々に必要とされる努力だと思うのです。
もう少し付け加えるならば指原さんはどういうヘタレ演技をすればヘタレアイドルとしておいしいのかそれを研究して1人でイメージトレーニングして練習していたはずなのです。
一生懸命にダンスを練習しているメンバーそして家でこういうヘタレ演技した方がおいしいわ。
おいしい思いをできるからもっといいヘタレ演技を考えようと考える指原さん。
どちらが努力をしているといえるでしょうか?
皆さんはどうお考えですか?
日々成長をする。
今日一日成長をする。
今日一日成長をしない。
それは大きな差になる。
今日一日成長をできる人。
その人は明日も成長をできる。
1か月後大きな成長をしている。
一方今日一日成長をできない。
その人は一か月後も成長をしていない。
その可能性がある。
それは決定的。
だから今日一日成長をする。
それが大切。
ほんの小さな成長でいい。
一ミリの成長でもいい。
何かをする時間それを1秒短縮をした。
何かを一つ工夫をした。
それも成長だ。
例えば嫌いな人間。
その人とかかわる時間それを1秒減らした。
それも成長といえる。
今日一秒減らす人間。
その人は一か月後にはより根本的な成長をできる。
その可能性が高くなる。
大切なことは少しでも成長をすること。
そしてその成長を大切にすること。
例えばネガティブで悩む人。
一秒でも悩む時間が減った。
これも成長。
そうしたら次の日は1分悩む時間。
それを減らすことができるかもしれない。
いきなり完璧にならない。
だから少しで成長をする。
そこに工夫をする。
そういう人は1か月後大きな成長ができる。
そうやって自分を成長させていく。
だから今日一日何があっても成長をする。
なんでもいい。
一ミリでも成長をする。
それを意識をする。
そうしたら成長のチャンス。
それが周りにあふれていること。
それに気が付く。